独断と偏見の子育て論

息子にとことん合わせる4つの理由

みなさま、こんにちは。

今月、特別支援学校を不定期に通学するようになって30か月目を迎えました。

相変わらず、日々を息子くんのペースに可能な範囲で合わせつつ過ごしています。

息子くんが産まれてから、ずっと続けていることなのですが、

確かに、母である時間が私個人である時間より多くなっているかもしれません。

確かに、簡単なことではないです。

「そんなに子どもに合わせなくてもいいんじゃないの?」

というような声もあるのかなと思うので、

息子くんにとことん合わせる私なりの理由をあげてみたいと思います。

愛着障害を防ぐため

少し話がそれますが・・・

過去に某国で、「子どもに無表情で声掛けすることなく育てたらどうなるか」という、なんとも酷い実験をしたことがあるそうです。

どうなったと思いますか?

子どもは全員死んでしまったそうです。

このことからも分かるように、声掛けや子に向ける眼差し、優しさ、というような目に見えないけれど確かに存在する愛情は、子どもが生育するうえで不可欠な要素となっています。

子どもが成長していく過程で養育者、主に母親との信頼関係を築くことを

「愛着を形成する」と言います。

この愛着が形成された、目には見えない確かに暖かな繋がりは子どもの安全基地と呼ばれ、世界を探索するホーム基地となります。

ホーム基地を出て探索して、そしてまた、少し不安になったらホーム基地へ戻る。

これが子どもと養育者の愛着が形成された状態で、徐々に子どもの世界が広がっていく基盤となると考えられています。

逆に言えば、安全基地を得られないでいると、不安が大きくなり、世界を探索するどころか様々な心身症状(二次障害)に繋がっていくと考えられています。

息子が学校で過ごせなくなった原因は、おそらく学校での愛着形成の弱さ=学校でのホーム基地の弱さだろうと思われます。

そういう知識もあったので、「目に見えないけれど絶対的に必要な安定した愛情を届けたい」、「安定した愛情を届ける存在として、見守っているよという姿勢を見せたい」という思いがあり、可能な範囲ではありますが息子にとことん合わせています。

この子どもにとって重要な愛着形成は、現在は、誰とでも・いつからでも可能であるとされています。

しかしながら、以前(25年ほど前)は母親と一定の期間でしか形成されないとされていました。

そして、その負の遺産は世代を越えて連鎖していくとまで言われていました。

25年前にこのことを知り、愕然としたのを思い出します。

というのは、当時、生きづらさを抱えていて、その理由は自分は愛着が形成されていないからと痛感していたからです。

一定の時期を過ぎると愛着は形成されない上、世代を越えて負の連鎖を引き起こすとした当時としての最新情報がずっと頭にあり、最近まで子育てに自信が持てずにいました。

その苦しさが少し変わったのは、息子の発達の勉強をするうちに、誰とでも・いつからでも愛着形成は可能という最新の研究結果を耳にした頃からです。最近の出来事です。

ただ、そう知ったところで直ぐに私自身の生きづらさを抱えた状況を変えることは出来ませんでした。自分自身が大きく傷つき囚われることで、安定した安全基地となりきれないことは変わらず続きました。これにはかなり苦しめられ、苦戦していることの一つです(その話はまた他別の記事に書きますね)。

二次障害を防ぎたいため

先ほど触れたように、不安などから様々な心身症状が発生することがあります。

自閉症の強い二次障害の一つとしては、自傷行為があります。

自分手をつねったり、壁に頭をぶつけたり・・・

それも出血するまでしてしまうこともあります・・・。

このような辛い状態だけは避けたいと思って、今まで固い頭を何度もひねって固定観念を壊してきました。

自閉症の特性として社会性が育ちにくいことがありますが、息子くんを世間一般の常識に当てはめようとするとどうしても合わせられないことが生じます。

社会と子どもとの間の板挟み状態ですね。

この状態を解消し、一番傍にいる私自身がまずこの思いを受け止める・・。

これは大事かなと思っています。

行動が場に合っていない or 合っている以前に、息子の思いに寄り添い、そうした行動をとる子どもの存在自体をNOとしない存在でありたい、そういう思いがありました。

勿論、危険なことや他の人が不快になるようなことは、受け止めた後、声掛けするなどしています。

自閉症は「忘れることができない」特性があるため

自閉症の特性として、「忘れることができない」というものがあります。

それは、自分にとって楽しいこと・嬉しいこと・良いことは勿論ですが、辛かったこと・嫌だったこと・苦しかったことも忘れることができないらしいです。

酷い場合は、フラッシュバックと呼んだりしますよね。

辛かったこと・嫌なこと・苦しかったことがあっても、新しい経験で上書きしていくことはできるのですが、場合によっては、上書きできるように働きかけるよりも、経験しないように避ける方が容易であったり効果的であったりすることがあります。

ケースバイケースですが、息子くんの場合は、「がっこういかない」と言い始めた頃に学校で楽しい経験を積むよりも学校で過ごすことを避けて心を癒す方を優先しました。

そうして傷が癒えた頃に、午後から1限分だけ本人の好きなことを中心にした個人授業をしてくださることで上手く上書きが完了したのだろうと思います。

ただ、これをし出すと活動範囲が極端に狭まることがあるので、本人の状態を見つつ、チャレンジしていくことも大事だと思っています。

上書きをするにも、避けるにも、チャレンジするにも、本人の様子が分からないことには適切な刺激にならないので、これをするにもとことん本人に合わせるのは大事かなと感じています。

親亡き後の❝人への信頼感❞を育てておくため

子どもの将来を思わない日はないですよね。

親は殆どの場合、子どもより先に逝きます。

それもまた、幸せなことなのですけどね。

そうした時、傍にいた親がいなくなった時、子ども自身が周りの人を信頼し、自分で歩いて行けるよう、親も含めての❝人への信頼感❞を育てておきたいと思っています。

先に挙げた3つの理由は、これに全て集約されると言っても過言ではないです。

余談ですが・・・・・

発達の勉強をしていくうちに、私自身、おそらく発達のでこぼこがあり、脳機能のでこぼこがあるのだろうなと感じるようになりました。

今のところ、特別困っていないので診断は受けていません。

ただ、子どもへの影響は考えたりします・・。

とは言っても、完璧な親などいないですよね。

親にも強みと弱みがあり、家族としても強みと弱みがあると思います。

できることもあれば、できないこともある。

完璧なものにしようとするよりは、親や家族の強みを生かして子に接していけば良いと思ったりします。

親も子も家族の在り方も、不完全で歪な❝でこぼこ❞で良いと思うんです。

しかしながら、中には他者専門家の介入が必要な病的に偏ってしまっているケースがあるのも事実です。

母子保健の考えとして❝共育て(ともそだて)❞という概念が入ってきています。

「ちょっとおせっかい」を社会皆で実施して、弧育てを無くし、社会全体で子どもを見守っていこう(=共育て)という概念です。

これには、弧育てによる子どもへの虐待を予防するという狙いもあります。

虐待というと少し別世界の出来事のような感じがしますが、「罰としてたたく」「子どもに暴言を吐く」「子どもを感情的に叱る」「大人の都合で子どもを放置する」「子どもを操作する・支配する」などといった避けたい関わり方は、マルトリートメント(略してマルトリ)と呼ばれ、1980年代にアメリカで生まれた言葉です。

こういわれるとグッと身近な自分ごとになり、子どもと関わったことがある人であれば誰しも耳が痛い話なのではないかと思います。

こうした不適切なかかわりが繰り返されることで、子どもの脳は苦痛に適応するため簡単に変形し、変形した部分の脳がつかさどる機能を苦痛を和らげるために無意識に低下させることがわかっています。

傷ついてしまった脳は適切なかかわりで回復する可能性があると考えられています。

(マルトリについてはまた別の記事に詳しく書きますね。)

共育ては、子どもを社会全体でマルトリから守ろう・癒そうという働きかけだろうと思いますが、現実的に見るとなかなか浸透しにくいように思います。

しかしながら、親・家族を越えて子育てに多くの人が関り、結果として子どもが必要とする養育を受け取ることができる環境ができていったらいいなぁと思います。

特性を持つ子でも自立は可能ですが、一人では生きてはいけない場合、適切に依頼というか、人に頼ることが不可欠となります。

そしてその❝人に頼る❞ことを可能にするため子どもの心の根底に必要であるのが、❝人というものは信頼できるもの❞という感覚かなと思ったりします。

息子の場合、他者の支援を得ずに一人暮らしをするような自立は難しいと考えています。

他の人を助けを求めて人生を送っていくことになると思うのです。

(誰にも助けてもらうことなく生涯を終える人はいないと思いますが・・)

また、自閉症という特性上、言葉で繰り返し伝えることでの理解は効果が薄いです。

人の理解を助ける刺激は、視覚的な情報・聴覚的な情報・体感覚的(非認知的)な情報に分けられるそうで、

これまでの育児を通して、息子の場合は、視覚的な情報と体感覚的な情報があまり興味のないことを理解してもらうときに効果的な刺激となり得ると感じています。

このため、視覚的に体感覚的に❝信頼❞ということを伝えるようにしています。

具体的には、❝安心できる場を用意する❞❝息子の要望に応える(反応する)(何にでもYesということではないです・できないときはNOと言います)❞❝約束を守る❞❝言動と行動を一致させる❞といった行動で信頼貯金をためるようにしています。

また、それに知的障害というものが加わるのですが、

通常の刺激の程度では充分に伝えることができない・伝わらないという状態が加わることが発達の勉強をしているうちに分かりました。

そのため、繰り返し・何度でも・時間をかけて刺激を送り続けることが必要で且つ有効となるそうです。

そんな理由もあって、信頼し合えた経験を少しずつ積んでいけたらと思い、とことん合わせることを続けています。

笑顔を中心にトライ&エラーを繰り返す

いかがでしたでしょうか。

子育ては、子ども・親・その環境によって状況は星の数ほどに違ってくると思います。

親も人間なので失敗もしますし、笑えない日もあります。

周りの情報に一喜一憂してしまう時だってあると思います。

何をどうしたらいいか分からないこともありますよね。

そんな時は、お子さんと自分の笑顔を中心に、時には固定観念をぶっ壊して(笑)、状況を整理してみると良いかもしれません。

こどもの笑顔を北極星にするようなイメージです☆

世の中の子育て情報(私の発信も含めて)も都合良く(笑)取り入れて、トライ&エラーを繰り返すことこそが大事かなと思います。

きっと、失敗ではないです。

「あまり我が子に向いている方法ではない」という一つの情報が得られたわけで。

私は、こんな感じで子どもにとことん合わせる方法をとっていますが、できない時も勿論あります。

それも含めて、自分に〇を付けながら、これからも息子くんの不定期登校を見守りたいと思います。

色んな人の意見を聴ける心の余白と柔軟性を確保しつつ、自分の好きなアートも楽しみながら、ゆる~くいたいと思います。

では、今回はこの辺で。

また~

ABOUT ME
やまもと佳星
アート好きの一児の母|息子(支援学校生)が不登校となり不安から母と離れられない状態に。息子の癒しと自身のリフレッシュを兼ねて活動を始める。

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