わたしはこうしてブログを書いていますが、
息子くんと家にいる専業主婦です。
「専業主婦は生産性がない」と度々ききます。
そういう話を耳にする度、肩身の狭い思いを何となくします。
別に自分の存在を恥じることはないのだと分かっていても
稼いでいない ただそれだけのことが
この資本主義社会では後ろめたさを感じるには
充分なことになるのだろうと思います。
が、「資本主義において」 という前提条件がつくのです。
個人的には、この世に命を授かって在るものは
等しく役立つ存在であると思っています。
子どもであっても、花でも虫でも。
科学技術の進歩発展のおかげで
神の領域に近い生命倫理に人工的に介入できる分野が増えたので
一概にはいえませんが。
一般的に言う❝生産性❞という言葉は資本主義的な生産性と言えるでしょう。
「お金にならなければ全て無意味」みたいな
極端に言えばそう聴こえそうに思います。
であれば、私が毎日しているこの家事は
資本主義的な視点からすると全て無意味なことなのでしょう。
例えそうであったとしても、
暮らしを成り立たせ、家族の自律を支え、心の拠り所を創っているのは事実です。
くたくたになって家中をピカピカにした一日も
何もせずにだらだらと過ごした一日も
資本主義的な生産性は変わらず0とされるのでしょう。
しかしながら、
専業主婦は資本主義的なものさしでは評価され得ないものだと思います。
なので、気にする必要はないと思います。
私は気にしないことにしました。
身の置き場所の違いだと思うことにしました。
資本主義の正義は当てはまらないのだと。
専業主婦の対価は
家事のシンプル化・効率化・自動化の結果得られる
❝低コストでの気ままな時間❞だと私は思います。
時給があるわけでもないし、
あったところで、時給が上がることはないです。
資産を自分で増やせる方法も限度があるので
どんどん消費しながら暮らすのは向いてないでしょう。
休日手当や時間外手当があるわけでもない。
たいていワンオペです。
トラブルが発生しても応援は来ません。
ピンチはチャンスと言える余裕は殆どありません。
ピンチは本当にピンチなので予防するに限ります(笑)
やってもやっても終わりのないエンドレスタスクの山。
ほとんど、やっても評価されません。
やるタスク・やらないタスクを決めるのが必要です。
専業主婦はどんどん家事を効率化して
質の良いものを購入する目を養い
周りの反応を気にせず
「低コスト&高クオリティな時間」を愉しみましょう(笑)
その仕事のモチベーションを❝お金❞ではなく❝質&時間❞にすると
少しやる気がでてくるかなと
ふと思いました。
kasei