皆様、こんにちは☆
久しぶりの登校となりました・・・。スミマセン・・。
ちょっと気持ちに余裕が生まれるまで時間がかかりました。
年末年始、体調不良だったのですが、体力も落ちてしまい・・・。
そんな中、今年ももれなくやってきた息子くんの❝冬ごもり❞・・・。
特に11月中、あんなに調子よく登校していたのに・・・。
『のに』がつくと 愚痴になる
みつを
・・・・
体力が落ちているとメンタルは下向きになりやすいですよね。
何も手につかない状態が続いたのですが、
それでも食事は作らないといけない。
作らないといけないけれど、買い物には付いてきてくれず行けない。
食事が偏ってくる・・・
心身のストレスがますます増えていく・・・・
こんな感じで悪循環が始まってしまったのですが、
こんなとき私にとって一番いい方法は、
許されるだけ寝てしまうこと。
一旦落ち着けば、違うアイディアが浮かんでくるかもしれないし・・。
という思いでひたすら寝ました。
息子くんの主治医の先生にも現状は報告していて、
特に何かをしなければならないという指示はなく、内服薬の処方も変わらず。
担任の先生や小学部主事の先生も理解をいただいて、
息子くんの気持ちがゆっくりとでも学校へ向くことを待ってくれています。
それでも、しんどいものはしんどいのですが、
たまたま、息子くんの福祉サービス更新のため面談があったのですが、
その担当の方に現状をお伝えしていたときに
「それじゃあ、本人は快適に過ごしているけど、お母さんたいへんだね」
と言ってくださって、とても救われました。
親として息子くんの側にいるときには、
それが一般的に良いか良くないかは別として
息子くんの思いはそのまま受け入れるしかないんですよね。
否定してしまうことはできるのだけど、
それだと一緒にいる空間のエネルギー的な調和がとれず苦しいんですよね・・・。
なんか怪しい?表現ですかね?
でも、私はそんなことを感じてしまって・・。
相手を変えるより、自分の考え・行動を変えた方が早いので
自分を更新し続けているところです。
そうして一つ思ったのは、
『川の魚は、海では生きづらい・生きられない(逆も然り)』 ということ。
息子くんの登校は『がんばれば克服できることではない』のかもしれないということ。
これまで、良かれと思ってやってみたこと全てを否定するわけでは無いけれど、
息子くんにとってはしんどかったのだろうと思えました。
そう思った時、
本人が良く笑って、良く食べて、良く遊んで、良く寝て いれば、
それでいいかなと思う様になりました。
学校に行かず、自宅で過ごし続けることが良いとは言い切れませんが、
少なくとも過剰適応してしまう場所であるならば、
ほどほどに行くのはありなのかなぁと思います。
この過剰適応というやつは結構厄介で
私もずっとそうだったのだと最近になって気づきました。
そんな理想を追い続ける母の近くにいた息子くんはとても辛かったろうなと思います。
ごめんね、息子くん。
おそらく、このまま冬ごもりして、6年生を迎えるのかなぁと思います。
今では、それもいいよねと思えます。
一週間先、一か月先の予定が立たないのが少々不便ですが、
その日その日を大切に過ごしていこうと思います。
kasei