徒然なるままの管理人日記

令和6年能登半島地震の記録① ~地震発生時~

北陸の冬の空は鉛色が多い。

私が記憶してきた元日の天気にしては

ありえないくらい天気が良過ぎる日だった。

青い空、穏やかな風、あたたかな日差し・・・・

ちょっとだけ『何も起こらなければいいな』と思っていた。

私の大きな地震経験は2回。

小中学校の頃に一度。

この時は父が足を骨折していて松葉杖をついていて

父が私たちより先に二階から降りた様子に

母は「子どもを先に降ろせばいいのに」と言っていた(笑)。

二回目は父が死んで少し経った頃で、日付を確認したら日曜だった。

地震の規模で言えば震度5だったかな。

自宅は歩いて海に行ける場所にある家なので

弟と祖母を車に乗せて

島の中央の学習センターまで避難した。

誰もいなかった(笑)。

ただ、島にかかっている橋はひび割れて一時通行止になった。

島に繋がる主要な道はほぼ一本道なのもあって、この頃はいつも大渋滞。

自衛隊の大きな車両が何台も連なって、復旧作業に向かっていたのを覚えている。

2024年1月1日16時6分頃

緊急地震速報が鳴った。

我が家は土日祝日関係なく、パパの透析予定が最優先される。

二日透析しない日があれば、体調はたちまち悪くなる。

三日透析できなければ、息子くんと二人で生きることを実践しないといけない。

この日もそうで、パパは透析に向かっていた。

母と離れて一人時間を満喫するようになった息子くんは二階。

私は一階で過ごしていた。

我が家は軽コンクリートの2階建てのオール電化。

両脇のご近所さんは不在だった。

揺れに備えると同時に玄関の扉だけ開けに向かった。

息子くんは、地震を理解していないようだけれど

声は元気だったので

私は一階で様子を見ていた。

結構大きな揺れだったので

弟にLINEを送って安否を確認していた。

2024年1月1日16時10分頃

そんな中、もう一度、地震速報が鳴った。

同じように玄関の扉を開け、息子くんに声をかけた。

揺れは次第に収まるように思えたけれど、今回は違った。

駐車場をみると、車がバウンドしているように見えた。

何かにつかまっていないと立っていられなかった。

今思えば、二階へ息子くんのところヘ行くべきだったけれど、

全く動けなかった。

長い揺れだった。

体感としては2分くらい揺れていた感じがした。

揺れが収まると、息子くんは一階に降りてきた。

怖がっている様子はなかったのでホッとした。

我が家にはテレビがない。

知的障害自閉症の息子くんと相性が悪いので置かなくなった。

その代わりとして、パソコンで地震速報LIVEを流していた。

幸い停電しなかったので、使えた方法ともいえる。

つづく

ABOUT ME
やまもと佳星
アート好きの一児の母|息子(支援学校生)が不登校となり不安から母と離れられない状態に。息子の癒しと自身のリフレッシュを兼ねて活動を始める。

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